車内広告は楽しい

okapia2009-03-20

「1950年代電車中吊り広告」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7152/1950koukoku/1950koukoku.html
よく見慣れた中吊り広告も、半世紀も時代を遡ると非常に新鮮に感じる。
 
交通広告、特に電車の車内広告は、なかなか興味深い広告媒体だと思っている。
まず、視覚的強制性だ。誰もが目にする公共の場所に配置されているから、あまり知らない分野の広告でもなんとなしに読んでしまう。通常は乗客が車内で長い距離を移動することはないはずで(みんなが好き勝手歩き回ったら学級崩壊状態)、一度電車に乗り込んでしまえば否が応でも目の前の情報を頭にたたき込まれる。広告を出す側もそうした乗客の弱みを理解していると見え、近頃は長い文章でも平気で載せてくる。身体的な移動制限を逆手に取ったある意味で狡猾な訴求的情報伝達手段である。その一方、乗客の側もまんざらではないようで、本や新聞など目の慰み物が手元に無ければ、キャッチーでカラフルな言葉の踊る車内広告と喜んで対話している(他にもメールやらマンガやら、日本人は活字に飢えているよね)。車内広告との強制的対峙は、心底死ぬほどつまらないというわけではないにせよ、乗客の心の自由はさっくりと奪われている。まるで決して消せないテレビの前に延々正座させられているようである。
次に、バラエティの豊かさだ。各路線の個性が一番見えやすいのも車内広告で、「借金減らします!!」など煽り立てるような司法書士事務所の宣伝ばかりが目につき複雑な心境にさせられることもあれば、高級マンションの写真で溢れかえった妙にバブリーな路線もたまには見かける。塾塾塾、たった数駅乗っただけなのに自分が受験戦争に巻き込まれたような気さえする受験ムード一色な車両もある。車内広告には現実が透けて見える。なぜこの大学は自キャンパスの存在しない路線にも広告を打っているのだろう、などと首を捻って少し考えれば、客の乗り継ぎの流れや受験生の保護者の層も理解できてくる。そうしてぐるっと車内を見渡すだけで、2次情報的(1.5次?)ではあるが、乗客層のちょっとしたマーケティングリサーチができてしまう。
同様に、広告が打ち出される物理的スペースと人間との関係もさまざまでおもしろい。額に入れられた広告もあれば、中吊り、ステッカー、はたまたつり革に巻き付いたもの…。電車の中はとことん人間的な場所で、座ったり手すりにつかまったりドアに寄りかかったり、人間の動作によって有効にはたらく広告スペースは異なってくる。小さな(or大きな)スペースだからこそこのコピーなのだろう、とか、その内容なら別の場所に移した方が年配者にも目について売り上げが伸びそうなのに、とか、掲示方法とマーケットとの関係をいろいろと思索するのも楽しい。
 
鉄道会社の自社広告が多いと何だかさみしい。改札を出る時、「大変ですね」と駅員さんに一声かけたくなる。