YouTube大学開講

okapia2009-04-02

"YouTube EDU"
http://www.youtube.com/edu
YouTube社員のボランティアプロジェクトとして発足した、YouTube EDU。ハーバードやスタンフォード、MITなどさまざまな大学の講義やイントロダクションが自動収集で一ヶ所に集められていて、ちょっと眺めるだけでも春先のやる気を刺激される。
 
こうした取組みは世界各地や日本の大学でも存在していたが(cf:Dec.11, 2007)、これからはYouTubeが各大学のハブとなることで知がダイナミックに結集していくのかもしれない。
いままで各大学勝手ばらばらに公開されていたものが一つの巨大な中継拠点を持った、その爆発的事実が重要。学びたい人は誰でもいくらでも学べる時代。さらに数多くの教育機関が参加し、知のフラット化が進むことを祈っている。
 
じゃあ受験勉強して大学に入学する意味なんてないじゃないか!なんて騒ぎ出すのは、ちょっと幼稚な思考だ。

オンライン・ビデオやiTunesで講義が一般の人々に公開されるということになると、決まって「授業料を払って大学へ行くのはどんな意味があるのか」という議論が起こる。というより、「こちらは高い授業料を払っているのに、講義を公にするとは何ごとゾ」というケチな了見の学生もいるかもしれない。
だが、「その場」に居合わせることにはビデオにない大きな意味がある。教授にリアルタイムに質問し、直接、指導を受けられることはその最たるもの。一緒に講義を受けるクラスメートから受ける刺激も、自分の向学心にとって重要なエレメントだろう。
私がスタンフォード大学に居候させてもらっていたときにお世話になっていた教授のレクチャーもアップロードされていて、とても懐かしかった。毎週行われるこのレクチャーは講演者の話はもちろんのこと、そこにいる人々がもっと面白かった。単位を取る学生だけではなく、シリコンバレー企業のエンジニアや近所のギークが忍び込んでいて、彼らが突飛な質問をしたりするのである。レクチャーの後は、彼らの立ち話の仲間に入れてもらえれば、さらに刺激的な話を聞くことができる。
逆に言えば、授業料を払っている学生諸君は、まるでテレビ画面を眺めているような方法で講義を聞くだけではイケナイということだ。その場にいることをもっと活かさなければならない。そうしないと、授業料がモッタイナイばかりか、YouTubeで講義を聞いている向学心に燃えた世界の若者にどんどん負けてしまうだろう。「YouTube大学」は、それだけ好奇心のある個人に道を開いたということである。

「入学」とは授業に出席だけして教授の話をぼーっと聞き流すための行為ではなく、「学ぶ」権利を得るための行為。「場」を活かすも殺すも自分次第。それを理解し行動に移せないなら、大学に入学する意味なんて無いのだと思う。
 
表面の殻だけ色づけしたって、中身が伴わないなら本末転倒。どんなにカラフルに飾った玉子を並べても、能動的に調理しなければ生玉子のままで終わるか腐り始めるかのどちらかかなんだ。
 
何事も、ね。