Twitterはじめました。

アカウント取ったあとすっかり放置していたTwitterを、今更ながら利用してみることにする!
http://twitter.com/okapia_jp
初心者なので非常にどきどき。"@"とか"RT"とか"#"とか、何のことやら最初は混乱。しかも(やっぱり)人によって用法も微妙に異なるようで、いまだに手探り状態のまま…。
 
「ブログは『過去形』のツール、Twitterは『現在形』のツール」なんてどこかで見聞きした気がするけれど、実際にTwitterを覗いてみれば噂通り。人々の「今」が洪水のように爆発的にあふれかえっていて、圧倒された。全っ然読み切れない。何百人とか何千人とか、みんないつ、どうやって読んでるんだ!しかも自分でもたくさん発言しているわけだしさ!!
 
…でも、きっとそんなの気にしなくていいんだよね。
 
とさっき気づいた。
Twitterは「今」のツールなんだから、過去のものまで全部読もうなんて思わなくてもいい。ちょっとした文脈なら多少は返り読みして追いたいところだけれど、全ての情報を共有し合って精緻な議論をする論壇的な場所なんかでは決してない。Twitterは、誰もがいつでもスタートラインに立てる場所。誰かの「今」に一緒に併走したり共感したりできればいいんだ。そんな「躍動感のある公平さ」が一つの魅力。
 
他にも好感が持てたのは利用者同士の距離感。mixiのような閉じた雰囲気でもないし、かといって孤立しているわけでもない。「フォロー」(相手の発言を自分のHomeで読めるようにすること)って語感は伊達じゃない。「友人」みたいに互いの仲をカチカチに意味づけるわけじゃなく、あくまでゆるく気楽に「フォロー」するのがTwitter。普通のメールのやり取りのように確実な返事を期待する場所ではないから「ボトルメール(「送信した電子メールがいつ誰に届くかわからず、受信するメールも、いつ誰が送信したものかわからない」ものwikipedia:ボトルメール。)」に近い感じ?(あれもおもしろいよね。)
 
あと、海外の人たちの発言を気軽にフォローできる点も楽しい!日本語英語(などなど)入り乱れていると、無数の人々が「今」を生きてるんだな〜とあらためて実感できる。ある程度利用者が増えてから始めたのも良かったのかもしれない。いろんな人がいるー。
人と人との関わり合いのコストがこれだけ小さくなると、もうどこに住んだって大丈夫だなと思える。地方から都会に出てきた自分としては妙に安心できるというか、人生設計をする上でも大きな材料を与えてくれるような気がする。多様な生き方を許容してくれるインターネットの懐の深さを再確認。地方でも都会でも外国でもやっぱり世の中何でもありだよね…しみじみ。
 
以上、Twitter熟練者から見れば圧倒的に素人な感想でした!
それでもこの独特の感覚はぜひ今のうちにつづっておきたくて。未知の世界にと出会うこのわくわく感は、IRCmixiに初めて触った時の興奮を思い出させる。
技術的にも使いこなせていないし目まぐるしく変わるような生活環境でもないので、まだまだ読んでいる(フォローしている)だけ…。頭や心に浮かんだことをもっと即!ことば化できればさらに楽しいんだろうけど…これも一つの思考トレーニングかな。

木を見て森も感じたい。

okapia2009-07-03

前に見かけて印象深かったので。
http://www.adverbox.com/discovery-channel-shark-week-ambient/
アンビエント広告(環境化された広告)ってやつ?
 
自分は「今」を体感できる広告が好き。せっかく日々目につくんだから、広告には「今」自分が置かれたTPOをがつんと反映してほしい。目の前の素材の質感や、媒体の一見日常的な動きと実は一体化していたりするとニヤリとする。あとは、自分自身が何か行動(心身どちらでも)を起こすことで完成するようなちょっとした間接感のある(?)広告。
奇をてらえばいいというものでもない。コミュニケーションはキャッチボールというけれど、古田だって城島だって寝ている時に時速150kmで投球されたら大ケガするだけ。そんな恐ろしい罠のようなメッセージより、ゆで玉子を作ろうと開けた冷蔵庫のタマゴの中にピヨッと紛れ込んだピンポン玉(スマイルマーク付き(゜∀゜))の方が誰だって気になる。目先の誘惑にとらわれず、発信者はもっとででんと大きく構えた方が真意を確実に伝えられると思うんだけどな。
 
バスなんかの「ラッピング広告」がアンビエント広告の例によく挙げられているけれど、あれは目に騒がしいばかりのただの大きな宣伝カーだと思うのです。心に届かない一方通行なメッセージをがなり立てるという意味では、選挙の時の街宣車とそんなに変わらない(あれは主に耳に対してだけども)。
 
んー。
アンビエント広告」って用語の定義が、自分の中でいまいち曖昧!

結核は、

今も世界の人口の1/3が感染している深刻な病気なんです(ただし9割は発症しません)。
 
 



 
 
ハリセンボンの箕輪はるかさんが隔離入院から復帰したけれど、「申し訳ありませんでした」はいらないと思うな。「ご迷惑をおかけしました」という事実の断りだけなら構わないとして、安易な謝罪会見は結核に対する社会の偏見をさらに強めるだけ。著名人の責務として結核に関する正しい知識を世に伝えてくれればよかったのに、と残念に感じる。他の結核感染者のためにもね。
これを好機にと結核関連の団体がハリセンボンの事務所に働きかけて医師や専門家と一緒にPRするとか、他に何か建設的な望ましい社会的広報はできなかったのかなぁ。感染した本人に非は無いんだから、もっと違った対処の方法はあったんじゃないかと思う。
ハリセンボンの結核のことが最初にニュースになった時にも、たとえば「とくダネ!」では小倉さんは冷静に「今でも多いんだよね。まぁ別にあわてなくていいでしょ。」的コメントをしていたけれど、「結核菌を持ち込むなんてなんて奴だ!どう責任とるんだ!」的にただ批判をまき散らす人も多かった。ブログやmixiを覗いても意見は両極端。世の中変な方向に火がつくとやっぱりこわいな…と感じたのをよく覚えている。
 
結核は感染、発症、排菌のそれぞれの段階で社会的な危険度がまったく異なる。日本でも年間3万人が発症していて、感染者はその何十倍もいるといわれる。排菌を始めた後だって自然に症状が治まる人もいるから、今健康状態の人だってむかし誰かに菌を移してしまっている可能性だってある。これだけ世にあふれた病気でも、菌の感染力は高くない。それに効果的な薬も今ではたくさん存在する。だからむやみに騒ぎ立てる必要は無い。
 
新型インフルエンザもそうだけれど、何事も正確な知識で適切かつ冷静に行動したいものだ。
 
参考として。
結核にかかってしまったので、結核について調べてみた」
http://travel-lab.info/tech/pblog/article.php?id=205