『現代語訳 竹取物語』川端康成

okapia2009-02-27

だって、あの月を見ずにはおられましょうか。

現代語訳 竹取物語 (新潮文庫)

現代語訳 竹取物語 (新潮文庫)

おとぎ話としての『かぐやひめ』ではなく、原文を川端康成が現代語訳した、短編小説『竹取物語』。
川端康成らしく幻想的で余韻いっぱいの美しい文章。古くささや幼稚さはまったくない。川端康成の世界に気軽に飛び込めるという意味で、川端入門としても薦められると思う。
 
中学か高校の古文の授業で、出だしの部分をゲーム的に暗記したことがあった。

今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり……

9世紀に書かれたとされる日本最古の物語『竹取物語』は、書き出しからロマンにあふれている。
 
ストーリー展開も簡単なようでいて奥が深く、1000年以上も前に構成されたものだとは思えない。

竹取物語は、小説として、発端、事件、葛藤、結末の四つがちゃんとそろっている。そしてその結構にゆるみがないこと、描写がなかなか溌剌としていて面白いこと、ユーモアもあり悲哀もあって、また勇壮なところもあり、結末の富士の煙が今も尚昇っているというところなど、一種象徴的な美しさと永遠さと悲哀があっていい。しかし何よりもいいのはやはりその文章である。簡潔で、要領を得ていて力強く、しかもその中に自然といろいろの味が含まっているところ、われわれはどうしても現代文でその要領のよさを狙うことは出来ない。しかしその中にちゃんと調子があって、強まるべきところは強まり、抑えられるべきところは抑えられてあって、この作者がなかなか芸術家であることが感じられる。

(p.101-102)

という川端の熱烈な解説を読んだだけでも、ぜひ手に取ってみたいと感じるのではないだろうか。
 
参考として、『万葉集』より長歌1首ならびに反歌2首。
竹取の翁と天女が出てくる、『竹取物語』と関連した歌だと言われている。

みどり子の 若子髪には たらちし 母に抱かえ ひむつきの 稚児が髪には 木綿肩衣 純裏に縫ひ着頚つきの 童髪には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我れを 丹よれる 子らがよちには 蜷の腸 か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束ね上げても巻きみ 解き乱り 童になしみ さ丹つかふ 色になつける 紫の 大綾の衣 住吉の 遠里小野の ま榛持ち にほほし衣に 高麗錦紐に縫ひつけ 刺部重部 なみ重ね着て 打麻やし 麻続の子ら あり衣の 財の子らが 打ちし栲 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを信巾裳成者之寸丹取為支屋所経 稲置娘子が 妻どふと 我れにおこせし 彼方の 二綾下沓 飛ぶ鳥 明日香壮士が 長雨禁へ 縫ひし黒沓 さし履きて庭にたたずみ 退けな立ち 禁娘子が ほの聞きて 我れにおこせし 水縹の 絹の帯を 引き帯なす 韓帯に取らし わたつみの 殿の甍に 飛び翔けるすがるのごとき 腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて おのがなり かへらひ見つつ 春さりて 野辺を廻れば おもしろみ 我れを思へかさ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば なつかしと 我れを思へか 天雲も 行きたなびく かへり立ち 道を来れば うちひさす 宮女さす竹の 舎人壮士も 忍ぶらひ かへらひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへ ささきし我れや はしきやし今日やも子らに いさとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへの 賢しき人も 後の世の 鑑にせむと 老人を 送りし車 持ち帰りけり持ち帰りけり

(『万葉集』巻16 3791)

死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも

(『万葉集』巻16 3792)

白髪し子らに生ひなばかくのごと若けむ子らに罵らえかねめや

(『万葉集』巻16 3793)

万葉集』の「いのちの歌」に恋や愛や月の光が加わり、情感に満ちた壮大な『竹取物語』が編み上げられる。
 
五人の求婚者たちの「宝探し」も楽しいけれど、一番わくわくするのはやっぱりクライマックスかな。非常にヴィジュアルな筆遣い。

……そうこうするうちに、宵も過ぎて、夜中の十二時近くになった。急に、竹取の家の付近がぱっと昼よりも明るく光った。その明るさは、例えば満月の光を十加えた位で、そこにいる人々の毛の穴までが見える程の明るさだった。その時大空から……

(p.87)