石のスープにプレビシット

金融は魔法だよね。
金融商品信用創造ということばを聞くと、自分がイメージするのは「石のスープ」の物語。
 

飢えた旅人(僧侶とも)が集落にたどり着き、民家に食事を求めて立ち寄ったが、食べさせるものはないと断られてしまった。 一計を案じた旅人は、路傍の石を拾うともう一度民家にかけ合った。「煮るとスープができる不思議な石を持っているのです。鍋と水だけでも貸してください。」
興味を持った家人は旅人を招き入れた。旅人は石を煮始めると「この石はもう古くなっているので濃いスープになりません。塩を加えるとよりおいしくなるのですが」と説明した。家人は塩を持ってくる。
旅人は同じようにして、小麦と野菜と肉を持ってこさせた。 できあがったスープは見事な味に仕上がっていて、何も知らない家人は感激してしまった。旅人はスープのできる石を家人に預けると、また旅立っていった。

 
決して金融産業全面否定派ではないけど、利殖偏重の過度な金融行為にはちょっと感覚がついていかない。
自分の頭が古くさいのかも?
今月号のクーリエジャポンにロシアの富豪の記事が出ていて、ぼんやりと自覚した。

 
ミハイル・プロポルフさんは去年の金融危機で、
資産が
$21,500,000,000(2兆1000億円)

$14,100,000,000(1兆4000億円)
になったんだって。
 
 
へー。
 

って感じだ。
 
クーリエだと、あとはプーチンの信条に関する話が印象に残った。

……「敵と裏切り者の区別は、プーチンにとって非常に重要です。彼は私に言いました。『敵というのは、自分の目の前にいて自分と戦争状態にあるが、停戦合意を結べば問題はすべて解消する。だが、裏切り者は、抹殺しなければならない』。これがプーチンの世界観なのです。……

(p.55)

つまり、利害の対立した「敵」は単に「外部の敵」であるから、後の交渉でどうにかなるだろう。けれど「裏切り者」は利害問題とは一線を画した「内部の敵」であるから、残らず粛正せねばどうしようもない!
ということか。(学校のいじめ問題とも似ている)
追認せざるを得ない結論誘導的な世論形成や国民投票を通じた「民主主義」により「正義」である自らの権限を一層強化し、仕上げた槌を「裏切り者」へと振り下ろすことで更に厳しく粛正を進める。
小泉内閣もそうだったけども、功罪置いといて、ダイナミックな政治手法は純粋にすごいなぁと思う。プーチンの言葉の端々にはそうした人民独裁(プレビシット)体制の基本が根ざしていて、非常に興味深い。