補助線探し
髪も切って荷造りも終わって、ちょっとこれから進路の関係で遠出してきます。
ようやく、といった印象。時が薬になって心の傷を癒してくれたりすることがあるとは思うんだけれど、あふれ返った時が自分自身をがんじがらめに締め付けてくることもあるんだと思う。怠惰ではなく、沈黙。キャンバスが白過ぎて何も塗れない。完全な自由は完全な自由たりえない。まっさらな大地を右往左往しながら歩むより、続く小道を闊歩しながら空や地平線を眺めてぐいぐいと進む方が、ずっと自由だ。
明日できることは今日やらない、そんな姿勢を直すためには、遠い明日を今日この日のように身近に感じられるかどうかだと思う。純白の紙にぐりぐりと補助線を浮き上がらせるようなもの。明日に届く嬉しい賜り物がいざや急げと今こちらに向かってきていると目で見て知るならば、こちらから先に取りに伺おうかとも考えるものだ。早く欲しい。早く欲しい。早く欲しい。きんきら宝物を覗く貴重なきっかけとなることを願って、そそくさと出発準備をしています。
(画像:http://www.flickr.com/photos/53627666@N00/191063346)