『きみまちざか』草飼洋幸・石成彩

okapia2009-03-11

きみまちざか』は、1999年2月14日に放送された「おーい、ニッポン―今日はとことん秋田県―」で発表された曲。秋元康作詞、後藤次利作曲。
 
「きみまち阪(きみまちざか)」は実在の地名で、秋田県能代市二ツ井町にある県立自然公園の名称。
http://www.shirakami.or.jp/~futatsui-kankou/kankomap/kimimachizaka.html

大きな地図で見る

戊辰戦争盛岡藩に大館城を攻略された秋田藩は、きみまち阪を防御地点に設定し、官軍からの援軍を待つ作戦をとった。秋田藩は兵の数でも武器の性能でも劣っていたが、(実際に交戦がおこなわれた場所はきみまち阪の手前の山であるものの)地形を利用して援軍到着まで持ちこたえることができた。現在でもきみまち阪の周辺には断崖絶壁の屏風岩がそびえ立ち、往時の険しさを物語っている。現在のきみまち阪は公園として整備され、絶壁内部の公園部分は多くの樹木に覆われているが、大正時代の写真では、草地に数多くの大きな白い岩が点在する荒々しい様子をうかがうことができる。

…と、もともとは血なまぐさい物語も存在したものの、

明治天皇の東北巡幸のため、1880年明治13年)にゆるやかな坂道が通された。また翌年、川には橋がかけられた。1881年明治14年)、明治天皇が東北巡幸した際に、皇后は「大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ」という歌をしたためた手紙を出し、ここで天皇の到着を待ったと言い伝えられている。翌1882年(明治15年)、宮内省を通じて正式に「徯后阪(きみまちざか)」と明治天皇より命名された。

というエピソードをもとにロマンティックなスポットとして知られるようになり、「恋文コンテスト」と銘打ったラブレターのコンテストが行われたこともあった。
 
この曲は本当にすてきな歌詞で、秋田への郷愁と恋心とが相まって非常に切ない。
全文引用はアレではあるのだけれど、どこで区切ろうか判断がつかないのでとりあえずこのまま。

短くなって行く 君の手紙
空白のスペースが 気の強さだね

都会の暮らしで 手にしたのは
方言の隠し方 夢のかけら孤独

白い雲が自由に 空を行くよ
風よどうぞ 連れて行って

二人で歩こう あの“きみまちざか”を
愛の場所は いつも こんな
そう 近くにある

二人で歩こう あの“きみまちざか”を
どんな時も きっとここで 大切な人が待つよ
永遠に...


眠れない夜は 地図を開き
秋田への帰り道 指で辿って泣いた

君らしさを 素直に思い出して
私らしく 微笑(ほほえ)みたい

帰っておいでよ あの“きみまちざか”へ
人は誰も 未来の愛
そう 待たせてる

帰っておいでよ あの“きみまちざか”へ
忘れていた ラブレターを
改めて読むように
なつかしく...

二人で歩こう あの“きみまちざか”を
愛の場所は いつも こんな
そう 近くにある

二人で歩こう あの“きみまちざか”を
どんな時も きっとここで
大切な人が待つよ
永遠に...

 
いくつかのカラオケにも曲が入っていることがある。
CDは絶版で、中古でないともう手にはいらない。

きみまちざか

きみまちざか

 
ただ、こちら(→amazonのページ)で試聴ができます!
サビまでたどり着かないのがとても残念…。

NHK・BS おーい、ニッポン 全国津々浦々1「北海道・東北・北陸・甲信編」

NHK・BS おーい、ニッポン 全国津々浦々1「北海道・東北・北陸・甲信編」

 
きみまちざか』は、中学校の文化祭の閉祭式で歌いました。
生徒会の役員が次々に舞台袖から現れて、一人ずつ短いパートを歌ってゆく…という一年限りの催しがあった(笑)
生徒会の先生の思いつきではあったのだけれども、この曲に親しめた出会いに感謝。