刈屋富士雄「オリンピックの女神はなぜ荒川静香に『キスを』したのか?」まとめ1

okapia2008-06-12

NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんが好きです。
たくさんの名文句を生んだスポーツ実況。選手一人一人への愛情がこもっていて、聞いているこちらまで幸せになれます。
 
相撲実況も好きですが、一番はやっぱり2004年アテネオリンピックの体操団体!
 
寝付けなかった夏の夜。
テレビをつけたら体操の団体。
体操は好きですが、アテネのテレビ中継はまるっきり深夜だったので、チェックできていませんでした。
団体を見逃しそうになるなんて抜かったなぁ…
何はともあれ、ぎりぎり間に合ったことに一安心しつつ、観戦。
…そして。
 
 
「冨田が冨田である事を証明すれば、日本は勝ちます」
「これさえ取れば!」
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」
「体操日本、日はまた昇りました」
「小西さん、どうぞ泣いてください。小西さんの目から大粒の涙が…」
 
 
「伝わる」と「伝える」は違う。
平坦な映像では切り取れない葛藤や栄光を言葉化し、全国民の心へ届ける。
テレビの光だけでは味わえない、今この瞬間に起こった奇跡の「価値」。
素材は「時」、スパイスは「奇跡」。生まれるものは「感動」。
感動を得られた「運命」に、私たちは「感謝」する。
彼がいなければ「奇跡」に感じられなかったかもしれない。
彼がいなければ、あの一時は「運命」には思えなかったかもしれない。
時を描き全ての人の心を揺さぶる。そんな彼は、かっこいい。
 
 
Wikipedia情報はこちら。
Wikipedia:刈屋富士雄
 
 
全20回のインタビュー記事を読み返して印象に残った部分をまとめました。
http://www.1101.com/kariya/
 

  • 第1回

けっきょく、スポーツの中継というのは、どんな名ゼリフであろうと言葉だけで成立するというケースはないんですね。その瞬間の映像とか、その勝負のすごさとかと重なって初めてインパクトを持つものであって、その瞬間にだけ、存在できるものなんです。ですから、あの言葉にしても、もう、自分からは完全に離れてしまっているという感じです。

後はもう、受け取る人がどう遊ぼうがデフォルメしようが、自由であると。
はい。自由ですね。そもそも、あとに残るようなことを考えて言葉をつくりながら実況していたら、たぶんその「瞬間」に追いつかないと思うんですよね。

 

  • 第2回

「栄光への架け橋」に降りる前のところ。あれは「これさえ取れば金だ!」というつもりで叫んでいるんです。あのときが、ぼくのなかでは興奮の頂点でした。

ということは、あとはもう、エンディング。
エンディングです。あとはもう「勝った」という実況です。「みなさん、勝ちましたよ」と。「これはもう、まさに日本の体操が栄光を取り戻してその栄光が始まる曲線ですよ」という、そういうつもりですね。

ぼくはもう、何十回も、何百回も彼の着地は見てますので、数えてなくても、だいたいのタイミングとしてこういう流れで、こう飛んで、こう降りてくるというのは感覚的に覚えてしまっているんです。ですから、言葉も自然にそこに合う。

 

  • 第3回

たとえば「栄光への架け橋」という言葉ひとつでもそこで「栄光」という言葉を使うことがはたしてふさわしいのかどうかみたいなことは、それこそ、その日、決勝がはじまったころからずっと探りながら実況しているんですよ。

つねに、つぎつぎと考えているんです。一種目め、二種目めと進むにつれていろんなことを思い浮かべながら、浮かんでは捨て、浮かんでは捨てをする作業をくり返していく。

 

  • 第4回

とくに採点競技の場合はどういう状態なのかっていうことを説明するサービスとひとつひとつの局面が変わっていくときの価値判断ですよね。「これは7位だけども、7位は上出来なんだよ」という判断をどれだけきちんと伝えられるか。「うわ、7位で出遅れちゃいましたよ」ということで終わっちゃうんじゃなくて、やっぱり7位という順位のなかで情報と価値判断のサービスをつねに出していかないといけないんですよね。それを的確にやらないとまったく違った放送になると思うんです。

小西さんにとってはわれわれとはまったく違った思いがこみ上げてきたと思うんですよね。やっぱり小西さんは体操日本の強い時代にあこがれて、でも自分がトップ選手になったときにはう日本は王座から転落していて行っても行っても勝てないという状態で。勝てない勝てない、体操ニッポンはもう終わりだ、というような罵声を浴びながら現場に戻ってきていて。そんななかで、同じ年代のオリンピックに行けなかった人たちが「じゃあ日本の体操はどうしたら勝てるか?」というのを追い求めていって、国でジュニアを育成しはじめた。小西さんもそれを手伝いながらその苦労を全部見てきてると。そういう思いがあったんで、たぶんふつうの人とはまったく違ったんでしょう。小西さんの世代は、もしかすると日本が金メダルを取る瞬間は自分が生きているあいだにもう二度と見られないかもしれないと思いながら苦労してきた世代ですからね。それがああいうふうな劇的なかたちで金メダルをとったわけですから。

 

  • 第5回

やっぱり、ああいう中継のときっていうのは、いかに見ている人の心と共鳴していくかということが重要になってくるんですね。それは、昔の状況を知ってる人の「そうだよ!」っていう記憶を呼び戻すような記憶の共有ができるかということと、初めて見た人にも「じつはこういうことがあるんですよ」というエピソードとしていかに印象的に伝えられるかという、その部分が重要になってくるんだろうなと。
両方が必要なんですね。
そうなんです。しかも、あれは生放送だったというのが大きかったと思います。やっぱり、競技も実況も、編集されるとどうしても伝わりきらない部分が出てきてしまいますから。

いやあ、ぼくもNHKでは23年めになりますけどいままでで最高の瞬間ですし、ぼくがNHKのアナウンサーになりたいと思った夢がかなった瞬間です。ああいうオリンピックの最高の舞台で最高の勝負で日本が勝つ瞬間を中継したいというのがNHKのアナウンサーになったときの夢ですから。というか、NHKのアナウンサーになる動機でしたから。だからもうすごく、ほんとうになんとも言えない‥‥疲れたときにお風呂に「ふぅ〜」って入ったときに「はぁ〜」って放心するような気持ちよさ。ほぼあれと同じ状態ですよね。しゃべり終わった後っていうのは。いやあ、よかったなあっていう。

 
次回(Jun.13, 2008)へ続く。