ひとの夢を見た。

okapia2009-01-20

近頃見る夢は、しばらく会っていない人と偶然出会う夢。
場所は飲み屋、道ばた、砂浜…さまざま。数年話していないような友人(や知り合い)と、夢の中でだけでも再会できるのはうれしい。けれど幾分切ない。かな。
 
そんな夢は前から見てはいるのだけれど、最近の夜は何が違うって、その一時一時がやたらにリアルなところだ。<ありありと>という表現が最も適切。周囲の景色も含めて、色、質感、匂い、声、音、すべてがくっきり。この人は本物よりも本物っぽいんじゃないかと思うぐらいに明瞭で、存在感がある。だから目覚めて素直に驚く。彼or彼女がここに<いない>事態に。
話をした内容もメモし尽くせないぐらいに細かい。今こんな仕事をしていて○○の分野で困っていて…だとか、共通の友人の△△が×ヶ月前に病気になった…だとか。もちろんハッピーな話も十二分に現実的。そしてすべて、自分の知らなかった内容。
<事実>を確かめようという気はさらさら起こらないので、何か問題が発生しない限り<そのまま>にしておこうと思っている。
 
でも、目。
 
うつうつとした夢の中で、人はあれほど純に目を合わせられるものなのか。
パラレルワールド>なんて自分が大好きな分野だけども、その辺にざっくりとどこかで迷い込んだんじゃないかとも考えてしまう。
 
 
話は若干それて、ジョン・アーヴィング

ピギースニードを救う話 (新潮文庫)

ピギースニードを救う話 (新潮文庫)

夢に困らされると、この短編集の『ひとの夢』を思い出す。
今見ている夢が<自分の夢>なのか<他人の夢>なのかわからず混乱を極める男の話。それは、考えれば考えるほど底が深い問いかけ。同床異夢どころか、自分自身の頭が正直かどうかさえ疑わしい。
 
個人的には、夢は一つの大きな世界で繋がってるんじゃないか、とか思ってしまったりする(もちろん科学的な話でなく、観念的な話)。誰かの頭と自分の頭が繋がっているからさっぱりわけのわからないような展開になる。トイレのドアを開けたら一面の大西洋が青々と広がっていたり、肉にかじりついた刹那トマトの自転車に轢かれていたりする。世界中の生き物の脳みそを無理やりに結合させたら、そりゃあぐちゃぐちゃな内容になっても納得するというもの。たとえば、インターネットのすべてのリンク先をいたずらにシャッフルしたような世界。
 
<自分>の範囲を越えた瞬間、そこはどこだかわからない。そんな世界が<夢>?
…割と<現実>とも差異がない気がして凹む。
 
 
上記短編集だと、自分は『ピギー・スニードを救う話』、『ひとの夢』、『ペンション・グリルパルツァー』が特に好きー。