『閑吟集を読む』馬場あき子

中世の狂気が人間を謳う。
閑吟集を読む
3月も末。一区切りということで、思い入れのある『閑吟集』を出してみます。
このブログのタイトル「思ひ出すとは忘るるか」は、『閑吟集』85番の歌を基にしたもの。「思ひ出すとは忘るるか 思ひ出さずや忘れねば」と続きます。現代語訳すれば「『思い出す』とは忘れていた証拠。忘れていないのなら『思い出す』はずがないでしょう。」といったところでしょうか。逆説的で含蓄のある表現です。
閑吟集』には311首の歌が収められていて、うち2/3が恋の歌です。上に挙げた85番の歌には86番「思ひ出さぬ間なし 忘れてまどろむ夜もなし(思い出す時間は無かった、忘れてまどろむような夜も無かった)」と言い訳の反歌が続くので、もともと85番は女性が男性に対して嫌味を言っている歌のようです。
それでも、「思ひ出すとは忘るるか」のような表現は非常に深みがあって、純粋に言葉として言い得て妙だと感心できます。言葉の裏側には「私は思い出したりしない、忘れたりなどしないのだから」とした気持ちが込められていて、広く物事に対する姿勢を省みさせてくれます。
恋愛の要素を取り除いても、かなり人間の核心を揺さぶる歌が多いです。編集したのはある桑門(世捨て人)とされていて、室町末期の乱世を反映した、一見狂気じみた歌も含まれています。教科書にはあまり取り上げられない、異色の歌の数々。
閑吟集』は岩波文庫に簡潔な歌集があるのですが、なかなか難解な歌が多いことと本の画像が見つからないことから、この場では『閑吟集を読む』をお勧めします。『閑吟集を読む』を書いた馬場さんは歌人としてよく知られた方です。一首一首丁寧かつ適当な分量で解説がされていて、読む助けになります。
ただ、1番から311番まで順番に読んでいく必要は無いように思います。個人的に読むのであれば、ざっと本を眺めて読みやすくて面白そうな歌を馬場さんの解説と合わせてじっくり眺めてみる、で構わないでしょう。その方がせっかくの『閑吟集』を嫌いにならないです。
248番「水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも」も大好きです。「私の思いは水に降る雪のよう。白くは言わない(明白には言わない)。たとえこの身が雪のようにはかなく消えてしまっても。」 細かな解釈は、いろんな説が入ってくるので省略。水に降る雪は、とても寂しげなもの。けれども、情景を思うとなんとなく背筋がしゃんと伸びる気がする。歌の世界がただ綺麗だから、頑張りたくなるのか。消え行くものを感じて、あらためて存在を意識するのか。
 
恋愛を主軸に本音をぶつけた歌が多いので、他の歌集にはあまり見られないストレートな表現やユニークな言葉遣いが他にもたくさん載せられています。
55番「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
59番「我が恋は 水に燃えたつ蛍々 物言はで笑止の蛍」
114番「ただ人は情あれ 夢の夢の夢の 昨日は今日の古へ 今日は明日の昔」
119番「ただ人には 馴れまじものぢゃ 馴れて後に 離るるるるるるるるが 大事ぢゃるもの」
267番「おりゃれおりゃれおりゃれ おりゃり初めておりゃなれば 俺が名が立つ ただおりゃれ」
310番「花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと 持つが大事な」
 
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